シエラレオネにある、リベリアとの国境付近の小さな村。この小さな村の脇を通る、わりと大きめの通りを眺めて、ぼーっとしていた。この道を通るタクシーに向かって手を上げる。しかし、それらはすーっと私の前を通り過ぎて行く。
私は、今、乗り合いタクシーを待っている。
目の前を通るのは、日本のタクシーを2年間、外に放置しておいたような見た目のもので年季が入ったものばかりだ。そして、いずれも満員である。この場所から乗る人は普通いないのか。
日も暮れかかってきたし、そういえば今日は朝から何も食べていない。
そんなことを思いながら、走ってくるタクシーに対して、ひたすらに手を上げ続けていると、1台の乗り合いタクシーが止まった。
そう、私の前で停車したのだ。
運転手が窓から顔を出し、早く乗れという合図を出している。
その姿は光り輝いて見えた。
急いで、タクシーのドアを開けると、中はさながら、ライブ会場の最前列状態である。黙って扉を閉めると、ドライバーの顔を覗き込んだ。
彼の指はまっすぐ屋根の上を指している。
二階席か、悪くない。風なんか感じちゃったりできるのではないか。髪をたなびかせる風は青春と旅にはつきものではないか。さあ、乗ろう。
すでに屋根の上にはお客さんが4人。それと、ネットで固定された大量の荷物、プラスチック製の大きな容器。この黄色い容器は、色は他にあるもののアフリカ各地でよく目にする。家庭では水を入れたりして使う。生活にはなくてはならないものだ。
おしりが4分の3個埋まるくらいのスペースをなんとか、つくり出してくれた彼らに感謝を述べ、そのあたりにお尻をねじ込むとタクシーは走り出した。
話すと、そのほとんどが私より少し年上くらい、25才〜30才であった。その中の一人は警察官。道なき道を進む間、周りに見えるものの説明をしてくれた。話のほとんどは、「ここに見える森が見えるか?これの向こう側は国立公園だ。」というジャンルのものだった。
それだけ、国立公園を誇りに思っているのだろう。その話をしている時の彼の表情は自信に満ちあふれていた。
シエラレオネという名前はポルトガル語に起源を持っている。Serra Leão(ライオンの山)というポルトガル語がスペイン語を経由して、英語での正式名称Republic of Sierra Leoneになっている。
ライオンの山だからと言って、ライオンがたくさん生息していたからという理由ではないようだが、「山から吹き降りてくる風が、ライオンの鳴き声のようであった」という説がある。
この地に来たポルトガル人はきっと、大自然に圧倒され、このような名前をつけたのだろう。国立公園として、その豊かな自然を後世に受け継ぐことの重要性を強く感じる。
ただ、あまりにお尻が窮屈で血の巡りが悪かったので、警察官にその感動を伝えるほどのエネルギーは、私には残っていなかった。
道路に一升の米の袋が置いてあって、その上をタイヤが乗り越えていくような、そんな衝撃の中、車が走っていると言えば、一番伝わりやすいだろう。
当然、腰が浮く。一瞬宙に浮かびあがる。
着地するたびにお尻の悲鳴が聞こえてくるようだ。
車の荷台には荷物をくくりつけるための鉄の枠組みが固定されている。
その隙間にうまいこと入り込んでいる。
お尻にあたるのは、鉄よりもむしろ、石のようなものを感じる。あまりにも疲れたせいなのか、本当に悲鳴のようなものも聞こえ始めた。
「う〜、ん〜」といううめき声がお尻から聞こえてくる。私の頭もついにおかしくなったか。
そう思って、見てみると、そこには角らしきものが。
体は白い毛だらけで、目は丸く見開かれている。
ヤギだ!生きている!
なんと、ヤギの角がお尻にささったまま、私は旅を続けていたのだ。慌てて、なかば車体からはみ出しながらも、体を前に出してヤギのスペースを確保した。
隣にいた人に聞くと。「そうだ、ヤギだ。」「家族へのお土産だ。」と嬉しそうにしている。事前に言って欲しかったと伝えると、「なんで、お前に言わなきゃならないんだ。」と言い返された。
その通りだ。なんで、自分が家族に買って帰るプレゼントをいちいち席の隣の人に伝えなければならないんだ。
私が東急田園都市線に乗って、座席に座る。手には、伊勢丹の紙袋。隣のサラリーマンの肩をぽんと叩いて、紙袋の中身を見せながら、微笑む。「ついに買っちゃったんです。」
たしかに、これは不自然だ。ヤギが、お土産やプレゼントとして認識されている場合、それについてどうこう言うことが間違っている。
そのものが、その地域で、どのような位置づけで捉えられているか。それを注意深く見て行く事が、その人々の文化を理解する一歩になるのかもしれない。