【意外なところにあった】ドイツ人が築いた人種主義の楽園がパラグアイに

著者:Shunya Ohira(Google+)

image credits:zona conflictiva.com
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なぜか、ドイツ人が南米パラグアイに街を形成

なんと、パラグアイにはドイツ人が形成している街があるという。その名もNueva Germania(「新しいドイツ」)。複雑な歴史を持っているようなので調査してみました。詳しくは以下をご覧下さい!

ドイツ人による楽園づくり計画

実は、この街は試験的につくられた。

 

ドイツから最初に5家族、その後14の家族が移住したのだが、対象となるのは経済的に苦しい生活を送っている者たちだった。そのような生活状況でなければ、南米の未開の地へ移住しようという気にはなっていなかっただろう。

 

この植民地化計画は、南米パラグアイのジャングルにドイツ人(ゲルマン民族)のコミュニティをつくりあげる事で、アーリア人の人種的優位性を示すためのものだった。

 

(※ここで言うアーリア人は、ゲルマン民族と同義で使われている。ナショナリズムが活発であった頃のドイツでは、ゲルマン民族こそがインド・ヨーロッパ語族の中で最も優れていて、私たちこそがアーリア人を名乗るべきだ、という思想があった。)

慣れない環境の中での貧困生活

しかし、この試みはそう簡単にはいかなかった。

 

というのも、今までドイツで暮らしていた人々が南米のジャングルでの生活にすぐさま適応するはずがない。

 

彼らの子孫には、現地の住民と結婚して、その後、貧困生活を余儀なくされているものもいる。

2006年の閉鎖的ドイツ人コミュニティ

 2006年発行の畑正憲氏の著書『ムツゴロウ世界動物紀行』では、当時のNueva Germaniaについてこう書かれている。

 

“大型のトラックが疾走してきた…(省略)…まるで軍隊のもののように、それも同じ色と形をしており、一定の間隔を置いて、無表情で通り過ぎて行く。”

 

畑氏は、ドイツからやってきたその住民は、外からの者を好まないらしい、と述べている。ここから読み取る限りは、コミュニティ外との接触に対しては消極的だったようにとれる。

2013年の混合が進んだコミュニティ

時が進むに連れて、初期の入植者の持つ強い気迫のようなものは失われ、さらにジャングル生活の過酷さも加わり、そこに住む人々は現地の文化に馴染むようになっていった。

 

2013年現在には、人種の混合はかなり進んでおり、ドイツ独自の文化はほんの少ししか残っていない。言語は現地のグアラニー語が80%を占めている。生活の基盤は農業に依存しており、キャッサバやバナナなどの栽培をしている。

それでも僅かに残るドイツ色

一部の、入植時代の家族の子孫の間では、ドイツ語が未だに話されている。やはり、母国の心は忘れたくはないということだろうか。その気持ちもよくわかる。

 

また、移住当時の情熱を思い起こさせるような、楽園の再建を唱える人々もいるとのこと。

その記事はこちら→「Rebuilding a pure Aryan home in the Paraguayan jungle」(2005年の記事)

 

 

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