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この教会「血の上の救世主教会(ロシア語で、Храм Спаса на Крови)」が建てられたのには、アレクサンドル2世という人物の暗殺が深く関わっています。今のロシアが、ソ連よりも昔の、ロシア帝国であった時代。その頃のロシア皇帝であったアレクサンドル2世が外出の帰りにテロリストに手榴弾で襲われました。瀕死の彼は運ばれましたが、息を引き取りました。
アレクサンドル2世の死を悼んで、彼の後を継いだアレクサンドル3世が、この血の上の教会の建立をしたのです。建設自体の終了は、次のニコライ2世の時代になってからようやくのことでした。
このコミカルなネーミング「ジャガイモの上の教会」も、ある時期には実際に使われていました。ソビエト連邦の時代の話です。社会主義国への転換期になり、教会は連邦政府によって閉鎖されてしまいます。無神論、つまり神を信じないという方針が国の政策としてとられたので、国中の教会の財産が没収されてしまいます。
そして、第二次世界大戦中には、教会としての役目を果たさなくなったこの建物は野菜を保管しておくための倉庫として使用されます。このような経緯から、人々はこの建物のことを「ジャガイモの上の教会」と皮肉を込めて読んだということです。
内部にも悲劇の証を見ることができます。トパーズなどで豪華に飾られた装飾は一見すると、一国の繁栄を示しているかのような印象を与えます。しかし、モザイク画を観察すると、それが、聖書の中から選ばれた悲劇の物語をテーマにして製作されていることがわかります。