【調査】ピサロの南米侵略を可能にした3つの要因とは

リマの広場

ピサロ一向の南米進出

神聖ローマ帝国のカール5世の世界を代表した征服者ピサロ一向が、インカ帝国の最高権力者アタワルパに出会ったのは1532年11月16日のことでした。この日に、たった168人の部隊を率いたピサロは、自分たちの500倍もの数のインディオを壊滅状態に陥れてしまうのです。

侵略を可能にした理由1、2=馬、銃

ピサロが勝利した理由の一つ目と二つ目は馬と銃です。馬に乗り奇襲攻撃をかけることで、圧倒的な戦力を見せつけたのです。インディオは、馬の駆け抜けるスピードに衝撃を受けました。それに追い打ちをかけるように、銃による遠距離射撃が加わります。

侵略を可能にした理由3=本などを使った情報

アタワルパはピサロによって拘束されてしまいます。インディオは絶大な信頼と崇拝の対象であるアタワルパの安全を最優先とし、それ以上の抵抗は行いませんでした。ピサロは身代金を要求します。そしてアタワルパは身代金さえ払えば、解放してもらえると思い込んで支払ってしまうのです。この思い込みの背景には情報量の少なさが響いています。彼らは文字の読み書きを行っていなかったのです。ピサロらが正直に解放するような行いをするわけがないことは、今までの侵略行為を知っていれば推測できそうなものです。一方、ピサロ側のスペインはコルテスという人物が以前、アステカ帝国を征服した時の情報を大量に継承することができました。

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参考

◎『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド