【残飯から思う】ちょうどいい優しさに出会える屋台(ブルキナファソ)

屋台の味

この写真を見て、皆さんは何を思うでしょうか?美味しそうと思う人もいれば、ちょっと質素だなと思う方もいるかもしれません。日本人にとって、このようなプラスチックの入れ物でご飯を食べることは、よくある事ではありません。それは文化の違いなので、しょうがないことです。見る人によって思うことが違います。私がこの写真を見て思うことは「美味しそう」です。実際にこれを食べたので、あの頃の味をしっかりと覚えています。それと同時に思うのが、「でも、そこまで今すぐ、食べたいとは思わない」ということです。

遺伝子の味

これが、面白いんです。私が、このご飯を毎日のように食べているときに思う事は「美味しいからもっと食べたい」のただ一つでした。しかし、日本にいる今は、「今すぐ食べたいとは思わない」なのです。恐らく、そうなった原因は二つあります。一つ目は簡単です。文化の違いと慣れです。私は日本人で日本食によって育っています。それが体の中にもインプットされているのです。日本食こそ故郷の味です。だから、日本食と比べてしまうと、他の食事は色あせてしまいます。もう一つが、有り難みです。

有り難い味

あるエピソードがあります。私はいつものように、朝ごはんを屋台で頂きました。非常に美味しかったです。食べ終わり、お金を払います。ふと下を見ると、そこにはご飯の残りが、皿に入ったまま置いてあるのです。なぜ洗わないのか不思議に思いますね。すると、子供がやってきました。子供の首には空の缶がぶら下がっています。スパゲッティのミートソースが入っていたであろう缶です。缶に穴を開けて紐を通してつくった簡単なものです。子供は地面に置いてあった皿を拾いあげ、中身を自分の缶に移します。缶の中には色んな残飯が混ざっているのです。

思いやりの味

後で聞くと、その子供は孤児だそうです。彼の他にも何人かいました。見た目から推測するに、10代の前半でしょうか。日本で見る同い年の感覚で推し量るとずれが出ると思いますが、それくらいの年頃だと思います。私の周りで食べている人が一口ほど残して立ち去るのを何度も目にしましたが、全てのつじつまが合いました。皆、わざと残していたのでしょう。

地域の味

私が思うことは、こうです。「善意」と「当たり前」の間が、ここに存在するような気がしています。あからさまな善意は、自分に対する見返りを無意識のうちに求めます。非常に不安定な精神状態をつくってしまうということです。逆に、当たり前は、無関心を生みます。あまりに進み過ぎると、それがあることに気がつかなくなってしまうということにもなりかねません。そのどちらでも無く、ちょうどいい優しさがこの地域に根付いているような気がします。食事を食べて、一口だけ残した皿をそっと地面に置いて去っていく人々が今でも目に焼き付いています。あなたが、もし私と同じ経験をしたら、何を思うでしょうか?

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