(著者:Shunya Ohira)
西アフリカにあるシエラレオネ。この国から連想される言葉といえば、ダイヤモンドを巡る血塗られた紛争(ダイヤモンド紛争)であったり、「世界一貧しい国」というフレーズ。しかし本当はどうなんだろう、という好奇心のみでシエラレオネを訪問。実際に訪れて、「世界一貧しい国」なのかという問いに対して出した、自分なりの答えを紹介します。
“外国人との接触がほとんどない。関わる機会があるとすれば、国連の平和維持軍の関係者くらい。よって、外国人から金を奪おうとか、騙してやろうとか、そういう発想を持つ者がいない。この国の人々はすれていない。”
この文を読み、シエラレオネに行ってみようという気持ちになった。貧困が蔓延して、危険な香りが漂うような場所をイメージしていた私にとって、新鮮で、意表をついた出会い。
私がシエラレオネを訪れたのは2012年。上の文章が書かれてから5年が経っている。すれていない人々に出会えるのか正直心配であった。・・・リベリアから陸路で国境を越えてシエラレオネに入国。国境付近から首都フリータウンへ向かうには乗り合いタクシーに乗る必要があった。それが走る場所までは、バイクタクシーを使わなければならない。近くにいるバイクタクシーの運転手に声をかけ、値段交渉を済まし、出発。飛び跳ねるように凸凹な道路を3時間ほど、二人乗りバイクで駆け抜けていく。
途中の村で給油をするために停車した時、その男が先ほどの値段を倍にして請求してきた。よくある事なので、強く言い返せば終るものだが、今回は少し違っている。自分の頭の中にある、「きれいな人々」を完全に覆す出来事を受け入れることができない。しかも、入国早々に起きてしまった。外国人として扱われてしまったのか。
反抗することなく、無気力に、その値段を受け入れ、シエラレオネの首都フリータウンへ向けてまた走り出す。男の表情はヘルメットに隠されてわからない。フリータウンに着いた頃、ふと気がつくと、両手の指の第二関節のあたりの皮がめくれ上がっていた。悪路をもの凄いスピードで走るバイクの後部座席に4時間ほど乗り、座席部分にわずかにある飛び出した部分に指をかけ、そこで全体重を支えていたからだろう。
とりあえず宿を探すべく、歩き、すぐ近くにある個人経営の小さなお店に入り、尋ねる。「ちょっと待ってろ」というと、その店主は中に入り、何かを探して帰って来た。なんと、その手には、絆創膏が。それを指に、丁寧に巻き付けてくれる。絆創膏の代金を受け取ろうとしない店主に何度もお礼を告げ、宿へと歩き出す。
なんとも言えない感動と感謝を感じて歩き出す。歩き出して、ほんのすぐのことだった。ほんの5歩くらい歩いたときに、道の脇を歩く女性二人が声をかけて来た。年齢は30才半ばくらいだろうか。「水を飲みたいから、お金をちょうだい。」またしても、対照的な出来事が起きてしまった。「喉が渇いてる人を助けないの?」この問いかけをされるとどうしていいのかわからない。
しかし、明らかに見た目は、まともな身なりをしているし、痩せているかんじもしないので、丁重にお断りをした。このように、シエラレオネでは、「外国人としての扱い」と「人としての扱い」が交互に次々と起こる。
所得であったり、その日を生活するのに必要な食事をとることができるかという意味では、貧しさは“まだ残っている”という印象を受ける。(「最も貧しい国」と言い切ることはしないが。)ただ、様々な人と話している限りでは、そこに住む人々の経済格差はまだ少ない。政府の役人とそれ以外という分け方をすれば、ゆるぎない格差はあるが。自営業をする人の中で、つまり近所に暮らす人との格差が少なければ、自分の生活を高くも低くも見積もる必要がない。その意味では、貧しさは感じられない。
心の豊かさや貧しさを私が評価できるような立場ではないが、5年前に書かれた文章と比べる限り、少なくとも、数年前よりは、“他のお金を持っている人から何かをもらえるかもしれない”という気持ちは高まっている。この気持ちは、今後、観光客や海外からの企業が増えて、その人相手に商売を始める機会が増えると共に、大きくなっていくような気がする。
観光地化していない場所に行く事で、その地の人と、より深い意味で繋がれるものだが、そのような場所はアフリカからどんどんと減って来ている。もしアフリカに、そのような素朴な生活のイメージを抱いている人がいるなら、早めにそれを体感してもらいたい。ここシエラレオネは、“素朴な生き方がどれだけ守られているか”という点において、急速に「世界一貧しい国」になりつつある。
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