褐色の色に代表されるペトラの遺跡 by Seetheholyland.net
砂岩から削り出された墓の数々 via Wikipedia
【FACT 1】
歴史的都市ペトラがあるのは、中東ヨルダン南部の砂漠。ここに、くりぬかれた岩の建造物が立ち並ぶ都市が存在している。ただし、都市と言っても、私たちが想像するような都会ではない。実際にあるのは、打ち捨てられた都市の遺跡。褐色に近い色や、時にはピンク色のような砂岩があることから、別名ローズ・シティ(Rose City)とも呼ばれている。
ペトラを取り巻く広大な土地 via Panoramio
遠目に見るペトラと不毛の砂漠 via wearforus.com
【FACT 2】
紀元前312年にナバテア人の首都としてつくられたペトラは、切り立った山々に囲まれた過酷な土地に存在しているにも関わらず(「ペトラ」という名前自体が、ラテン語で「岩」という意味)、ヨルダンで最も人気のある観光地となっており、世界遺産にも登録されている。一方で、1812年に、スイスの探検家ブルクハルトによって発見されるまでは、全く世界に知られていなかった謎の多い遺跡でもある。
【FACT 3】
ペトラは強固な守りを誇る城塞のような役目を果たしていたが、それ以外に、経済活動についての歴史も忘れてはならない。紀元前1200年、この地を支配したエドム人は、質の高い布製品の生産や、鉄鋼技術で知られている。紀元前4世紀頃からこの地に暮らすナバテア人は、もともとこの地を通過する人々の交易を管理する立場にいたが、後には交易そのものに関与し、都市としての発展を遂げている。
シーク(ペトラへと続く長い道) by werner boehm *
【FACT 4】
ナバテア人は砂漠の真ん中にあるこの町ペトラに、なんと水路を整備して、人口のオアシスまでつくっていた。一時期、この地は大規模な洪水に見舞われたが、その際、ペトラの人々はダムと貯水池をつくり水を蓄え、水路を引き、その後に起きた長期間に及ぶ干ばつを乗り越えている。
馬車と人が歩くシーク by MsBond
カズネ・ファウルン壁面に施された洗練された彫刻 by Rick Ligthelm
【FACT 5】
シーク(Siq)と呼ばれるペトラへと続く長い道を進むと、その先に見えるのが、最も有名な観光スポットである宝物庫カズネ・ファウルン。高さ40mの岩肌の表面を繊細な技術で削り出すことでつくられている。カズネ・ファウルンの他に同じようなデザインの建造物がペトラに存在していないことから、この建築や装飾は、古代ギリシア文明に関係する人物によって成されたと言われている。
このカズネ・ファウルンは宝物庫と言う名前だが、実際には、寺院もしくは王の墓ではないかという説があり、はっきりしていない。宝物庫という名前は、ここの二階部分に山賊の宝が隠されているというベドウィン(アラビア半島において、遊牧や交易で生活を営む民)の言い伝えによる。現に、宝を探し求めたベドウィンにより打ち込まれた銃弾の跡が、今でも壁面にはっきりと残っている。
モンテロッソ・アル・マーレのビーチ via Zaman Tours
【FACT 6】
ペトラは現在、荒廃の危機にさらされている。その主な原因は、観光客の増加や不適切な保存方法。さらに、2011年4月4日には再び、大規模な洪水が発生。これがペトラの保持をさらに困難にしている。30分の強烈な雨の後、ペトラに水が流れ込み、そこにいた人々は政府によって退去させられたとのこと。