左:ムムターズ・マハル 右:シャー・ジャハーン via Art n India
【FACT 1】
タージ・マハルの存在や名前は有名だが、実は霊廟としてつくられたことはあまり知られていない。(※霊廟:死者や先祖を祭る施設のこと。)ムガル帝国の王シャー・ジャハーンによって、亡くなった妻ムムターズ・マハルを思い建設された。つまり、シャー・ジャハーンによる妻を失った深い悲しみや愛情が込められたのが、タージ・マハル。
ウズベキスタン、サマルカンドにあるグーリ・アミール廟 via Wikipedia
【FACT 2】
タージ・マハルの建築様式には、イスラム、ペルシャ、オスマントルコ、インドの技術が集約され、さらにフランスの金細工師、イタリアの宝石工も加わっているほどで、込められた思いの強さが感じられる。建築の際には、現ウズベキスタン、サマルカンドにあるグーリ・アミール廟などが参考にされた。
川の水面に反射するタージ・マハル(右奥:モスク) via zastavki.com
【FACT 3】
タージ・マハルの白いドームを持つ部分、つまり霊廟が一番知られているが、実際には、複数の建築物(モスク、来賓館など)の集合体としてできている。建築が始まったのは1632年で、完成は1653年。その期間は23年。(※1648年にメインの霊廟が出来上がり、その5年後に、周りの建物や庭園が付け加えられた。)
ペイントが施されたゾウ via Scott Stulberg
【FACT 4】
タージ・マハルの建造に従事した技師や大工の数は、2万人以上にも及ぶ。さらに、1000頭以上のゾウが資材の運搬に使われた。
モノクロのタージ・マハル via The Planet D
【FACT 5】
シャー・ジャハーンは、タージ・マハルの川を挟んだ向かい側にもうひとつ、黒大理石製のタージ・マハルを建設しようとしていた。しかし、息子との抗争に破れことで、彼の計画が実現することはなかった。
夕日に輝くタージ・マハル Via Funny Photos
【FACT 6】
タージ・マハルの色は、時間帯によって変化する。朝には明るいピンク色、昼には柔らかい白、夕方には輝くような黄金に。この色の変化は、女性の心(特に王妃)の移り変わりの早さを表していると言われている。
夕日に輝くタージ・マハル Via Wikimedia Commons
【FACT 7】
ムムターズ・マハルの死に直面したシャー・ジャハーンはひどい悲しみにくれた。そのとき彼の髪の毛の色は、数ヶ月のうちに真っ白になってしまったというほど。さらに、シャー・ジャハーンは国民に対して2年間の服簿(死者の冥福を祈り、外出などを控えること)を命じている。
上空から見たタージ・マハルの霊廟 Via Think twice relaunched
【FACT 8】
タージ・マハルの4面全てが、鏡を写したように同じ姿をしており、その幾何学模様は、自己の複製という発想が含まれている。
タージ・マハルとその周辺 by Rich Harris
【FACT 9】
1983年に世界遺産に登録されたタージ・マハルの範囲は広大で、庭園やモスク、迎賓館などを擁している。全ての総面積は17万平方メートルにもなる。
タージ・マハルの外壁と老人 by Frans Devriese
【FACT 10】
1857年〜1859年に起きたイギリス人支配に対するインド大反乱の際には、イギリス人によってタージ・マハル壁面の宝石が大量に奪い去られてしまった。
一番右から:川、霊廟、庭園、入り口の門 via Tuk & Tum
モスクの内部 via powertripberkeley
ムムターズ・マハルの墓の横には、シャー・ジャハーンのものが via Wikipedia
タージ・マハルの敷地を埋め尽くす人々 via Sulekha.com
→ゾウなどを動員して行われた建造の規模を視覚的に理解するのに便利な動画
→タージ・マハルの建造物の位置関係を大まかに掴むのに便利な動画